開智・日本橋教育グループ

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 日曜に開智の筆記受けてきたけど、ここはどれだけ入れ替えが激しいんだ?
仮に不採用でも、秋には欠員ができますから声掛けたら応じてね…ってw 

 開智・日本橋教育グループ(以下、開智)は、2つの学校法人から成り、傘下に3つの中高一貫校を抱える(埼玉県さいたま市、埼玉県加須市、東京都中央区)。

開智はほぼ通年で採用活動をしていると言っても過言ではない。それだけ教員の出入りが激しいからなのだろうが、そのことを受験生は学校選びの材料の一つにすべきではないだろうか。

ところで、そんな開智の待遇を見てみよう。

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専任教諭の月額給与が、学部卒で約23万、修士で26万、博士課程修了で約30万、博士号授与者ならば31万だという。博士の相場はわからないが、学部卒、修士卒ともに「まあまあこんなところ」だろうとは思う。

ところで、以下の単年度契約の常勤講師の待遇を見てほしい。

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専任と同じ仕事をさせられるのに、給与は3~4万円安い。これは多くの私学で見られる因習、悪癖とでも呼ぶべき雇用形態であるが、これが開智に人材が長く居つかない理由の一つであろう。つまり、いつまでも専任にしてもらえない常勤講師が余所へ移るか、開智が常勤講師を数年で雇い止めするか、のどちらかである。

とはいえ開智は進学実績の面で、埼玉県内私学の雄である(インターエデュによれば、2016年度東大合格者数全国33位で、県内私学では栄東に次いで2位である)。開智経験者をほしがる私学が埼玉県内(とりわけ東部)には多く、「開智ブランド」を提げて異動する教員がいるのも事実である。

聖徳大学附属

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千葉県松戸市にある聖徳大学の附属女子中高2校。一方は同市にあり、他方は茨城県取手市に所在する。月額給与が大卒約24万円、院卒約25万円。

かつて同校の採用試験を受験したことがある。やや特殊で、書類審査通過者は全員筆記試験と、それとは別日程の模擬授業をしなければならなかった(筆記試験通過者が模擬授業をするというのが一般的)。それらに通過した者だけが、面接試験に呼ばれることになっていた。

予め面接試験の日程(平日)も決められており、模擬授業とは約一週間くらい開いていたと記憶している。当時すでに働いていたので、面接に行くとなったら休みを取らなければならない。しかし方々に迷惑をかけるので、不要な休みはとりたくない。だから呼ばれるにせよ、呼ばれないにせよ、早く連絡がほしかった。

いつまで経っても連絡は来ず、仕方なく休暇の算段をとった。ところが面接試験が予定される日の前日夜、私が帰宅すると自宅のポストに速達で「不採用」。

これには本当に頭に来た。勿論、連絡の遅さにたいして、である。仮にも学校を名乗る者が部外者にたいしてこのような不義理を働いてよいのか。

このエピソードを当時関係のあった教員派遣会社や学校コンサルタント会社に話したところ、両社とも本学校法人にたいして良い印象を持っておらず、そういうことをしても不思議ではないという口ぶりであった。

閑話休題。本稿を書くにあたって両校のことを調べてみると、共に2010年に校名を変更していた。

松戸校は1990年からの校名「聖徳大学附属高等学校、同中学校」を「聖徳大学附属女子高等学校、同中学校」に。

取手校は1990年からの校名「聖徳大学附属聖徳高等学校、同中学校」を「聖徳大学附属取手聖徳女子高等学校、同中学校」に。

旧校名ははっきり言ってわかりにくすぎである。当初、二校とも一つの学校で、一方が他方の分校扱いだったのかと思ったくらいである。

西大和学園中高

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本校は奈良県の新興進学校。1986年高校、88年中学設立という。インターエデュによれば2016年度大学入試において京都大学合格者数第4位とのこと。

個人的には、灘中高の木村達哉氏の前任校という印象が強い。

月額の院卒約26万円、学部卒約23万円という額は、恐らく私学教員の給与としては安い部類に入ると思われる。あとは賞与次第か。

かえつ有明中高 西武学園文理中高

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「葛藤を乗り越えた先の未来」佐野和之 & 金井達亮(かえつ有明中・高等学校教諭) | CCC : Co-Creation Creators

 かえつ有明に勤務している佐野和之教諭と金井達亮教諭は、2014年4月に同時に同じ学校から異動してきたという。調べてみると、前任校は西武学園文理だったようだ。

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先生方の声 | 高校生の心に火を灯す、キャリア教育

 

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http://berd.benesse.jp/up_images/magazine/03shido_023.pdf

 

西武文理においても、創業家出身者による学校資金の私的不正支出が2015年11月に発覚している。資金の不正流用を行った、佐藤文理学園の元「学園長」にして、同学園の西武学園文理小学校の佐藤仁美元校長は、創立者でもある佐藤英樹理事長の娘だ。

佐野、金井両氏に責任はないが、前任校、現任校の両方で創業家が不正支出をしていたというのも、運がない話だ。

ただ強いて言えば、学校外の諸媒体で「自分語り」をよくする教員がいるということと、不正支出ができるほど創業家がワンマンであることには、相関性があるのかもしれない。

進学やスポーツなど、とにかく生徒指導全般においてめぼしい実績がない学校(ないし学校法人)は、アピールするものがないから、自分が抱えている「教員の良さ」を宣伝材料にしたくなる。もっともその「良さ」と言っても、出身大学や英検、TOEICなどのスコアが関の山なのだが――案内のパンフレットやウェブサイトに教員の顔写真つきで出身大学名を紹介しているような学校は、碌な学校ではないと判断してよい。

そもそも、教員が「良い」のはあまねく学校の前提であって、教員が高偏差値大学を卒業している、つまり学校の勉強がよくできたというのは、教員にとって必須の条件である。出身大学名や資格試験のスコアなどに保証される「教員の良さ」など当てにはならない。

かえつ有明中高

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今年2月に『2020年の大学入試問題』を上梓したばかりの石川一郎氏が同校の校長を辞任した。後任として前嶋正秀教頭が「校長代行」を務めているというから、その辞任は予め決まっていたものではなく、「突如」という言い方が正しいのであろう。しかも石川氏は2015年度より、前任の嘉悦克氏の跡を継いで校長職に就いたばかりであった(前職は同校副校長)。

嘉悦克・嘉悦学園前理事長ら創業家一族への不適切支出問題を受け、同学園は当時の理事12人全員が辞任した(但し前理事長は解任されたため除く)。石川氏もまた当時の理事の一人であった。

 

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http://www.kaetsu.ac.jp/gakuen/corp/不適正支出問題についてのご報告.pdf

 

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http://www.kaetsu.ac.jp/gakuen/public/pdf/H26_jigyouhoukoku.pdf

 

嘉悦大学の学長は4月1日付で赤澤正人氏(任期は2012~16年)から石川百代氏に変わった。但し赤澤氏もまた当時の理事であり、理事辞任と学長交代のタイミングがたまたま同じだったと見るのが自然だろう。つまり、大学トップも実質「辞任」であり、同じ理事であった中高トップが居直れないのは道理である――辞任発表のタイミングからして、もしかすると居直ろうとしたのかもしれないが。

ここからは邪推だが、嘉悦氏が中高校長在任時の副校長、すなわち片腕であり、その後任として校長になった石川氏には、嘉悦氏という後ろ盾があったのではないだろうか。不正支出を犯していた理事長・校長のもとで教育改革やら大学入試改革やらを云々していた人が、果たして真っ当な仕事をしていたかは甚だ疑問である。

ところで、昨春嘉悦氏が同校中高を退任するときに、次のように言い残したそうである。

 嘉悦学園理事長としては、まだやり残した仕事があるので、理事長としてみなさんの役に立つようまだまだがんばります。 

 「やり残した仕事」というのは学園資金の不正私的流用だった、というわけである。

 

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かえつ有明中・高等学校 - 【校長 嘉悦 克】より重大なお知らせがありました。 みなさまおはようございます。... | Facebook

翔凜中高

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学部卒初任給20万円はなかなかお安い。賞与が何か月分かはわからないが、仮に3か月分だとすると、(年額)=20(万円)×(12+3)(か月)=300(万円)だ。

ちなみに同校は千葉県君津市にあり、現校名は2015年4月からのものである。昨年10月に当地を訪れ、同校付近を通過したときに同校の看板を見かけたが、聞いたことがない学校名があって驚いたものだった。

旧校名は房総農業高(1964-78)、房総学園高(1978-1992)、千葉国際中・高(1992-2015)と変遷を辿る。創立者は産経新聞社、東京タワー、マザー牧場を作った前田久吉。房総学園高時代の1988年には校内で殺人事件が起き、生徒に逮捕者が出たという。

 

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前田久吉 - Wikipedia