おかやま山陽

前回の投稿が21年8月21日、ほぼ2年前である。「隔年刊」は英語で"biennial"というそうだが、2年間もブログを放っておかなければ、知る由もなかった単語である。

閑話休題

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%84%E3%81%BE%E5%B1%B1%E9%99%BD%E9%AB%98%E6%A0%A1.JPGおかやま山陽の外観(Wikipediaより拝借)

表題の学校は岡山県浅口市に所在する私立共学高校である。今夏(2023年)の「全国高等学校野球選手権大会」(夏の甲子園大会)には本校野球部が岡山県代表として出場した(準々決勝まで進出し、ベスト8)。

同部監督の堤尚彦氏は異色の経歴の持ち主で、青年海外協力隊員としてジンバブエで2年間、ガーナで1年滞在して野球の普及に尽力した。福岡県のスポーツマネジメント会社でプロゴルファー・諸見里しのぶ選手のマネジメントなどに従事したのち、2006年より本校に勤務し、同部監督に就任した。なお諸見里選手は本校卒(2002-2004)である。

この異色の半生を書き下ろした著書が今年7月に出版され、売れ行きは好調だという。斯く言う拙も早速購入して読了した。

hochi.news

上記リンク先の魚拓はコチラ

堤氏が本校野球部監督に着任したきっかけは、前任の池村英樹氏(2014年に43歳で死去)が2005年11月、部内での体罰や裸ランニングの強要で逮捕されたからだ(コチラを参照)。その後堤氏は2017年夏に初めて「甲子園」に出場し、翌18年「春の甲子園」(選抜高等学校野球大会)にも出場を果たした。

焦点を池村氏に移す。池村氏は2000年に監督として沖縄県那覇高校野球部を「夏の甲子園」へと導く。同校初の「甲子園」であった。左利きの三塁手や捕手を擁し、「ダンゴムシ打法」の代打切り札など、かなり印象的なチームであったようだ。

元々教員免許を持たない外部指導員であった池村氏は同年度限りで那覇高を去った。このときの退任には納得していない部員もいたようだが、「那覇時代を知る保護者の一人は『野球に関する情熱はすごいが、野球以外のことは知らない。大人としての対応ができない』」(引用元は直前のリンクと同じ、強調は引用者)という意見もあったようなので、指導者として難がある人物であったように思われる。

池村氏が再度、衆目を集めるのは2013年のドキュメンタリー番組「ホームレス理事長」内においてだ。同氏は高校を中退した元球児たちを支援するNPO法人「ルーキーズ」で野球の指導をしていた。同番組内で池村氏は問題行動を起こした少年に9発のビンタを放ったそうだ(コチラを参照)。

体罰の良し悪しは是非に及ばず。強調したいのは、一度体罰で逮捕までされた野球指導者が、結局体罰を介したコミュニケーションしか取れない人物であった、ということである。

堤氏は前述の著書において「甲子園ではなく、野球を愛している」と豪語している。ゆえに自身が指導者として甲子園大会に出場することも、野球を世界に普及させ、後世に残すための手段であると断じて憚らない。

堤氏も池村氏も、こと野球にかんしては両極端に振れた非常識な指導者である。そんな「野球バカ」がおかやま山陽高校野球部という交差点でニアミスしたことがとても興味深い。

なお没年から計算して、池村氏は1970-71年ごろの生まれで、存命ならば51-52歳くらいだろう。堤氏も1971年生まれである。両極端な野球指導者がほぼ同年代ということも興味深い。