米子松蔭高

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米子松蔭高校の外観(Wikipediaより)

鳥取県米子市に所在する私立共学高校である。7月16日(金)深夜、同校関係者1名に新型コロナウイルスの感染が判明し、翌17日(土)に休校措置をとった。これにより同校野球部は17日(土)「全国高等学校野球選手権鳥取大会」の2回戦を「辞退」した。学校は休校しているのに、部活動だけをやっていいはずがない、という理屈である。

翌18日(日)午後1時26分に同野球部の主将がツイッターに、一度「不戦敗」と決定された試合結果を覆すように嘆願する投稿を行った。曰く「何とか出場する道を模索していただけませんか?」

この投稿に、元大阪府知事、元大阪市長のタレント・橋下徹氏(同午後3時48分)や元大阪市長、現大阪府知事の吉村洋文氏(同午後6時3分)などが反応した。これら「大阪維新の会」のポピュリスト政治家たちは遠く鳥取県の高校生のことまで心配でしょうがないらしく、橋下氏などは「この高校生の声を無視するのか!彼らの後の人生を想像しろ!オリバラを開催した執念をここでも見せろ!」原文ママ)と命令口調で勇ましい。

こうした世論やら権力者やらの声に煽られたのか、同県高校野球連盟は19日(月)に同校の「不戦敗」を取り消した。同校は21日(水)に当初の対戦相手であった県立堺高校と試合を行い、3対2で勝利した(後の23日(金)準々決勝で敗退)。前後して20日(火)には萩生田文科大臣すら記者会見において、当初の「不戦敗」判断に苦言を呈した。

「不戦敗」を巡る3つの論点

提示したい問題点は3つ。(1)当初の「不戦敗」判断は妥当であったか。(2)選手(や学校)が主催者や審判の判断に異議申し立てをすることは妥当か。(3)当初の「不戦敗」判断を主催者が覆すことは妥当であったか。

(1)にかんしては、それが理不尽であることを指摘しつつ、しかしそれが現下のいわゆる「コロナ禍」における学校生活の現実であることを我々は認めなければならない。関係者にたった1人コロナ感染者が出たことで、生活の隅々を制限された学校は本校にかぎらない。

(2)については、拙はこの選手の行為に同意しない。あらゆるスポーツにおいて、主催者や審判の一度下された判断は絶対であるはずである――それが客観的な基準に照らして間違っていると言わざるを得ない場合でも。本稿は理不尽な審判に賛同していない。しかし、時として誤審がなされることもあるのが、スポーツの世界ではないのか。そうした前提条件に選手はそもそも服するべきではないのか。

ついでに言えば、本件はプロスポーツではなく、部活動の話である。尚更に理不尽の跋扈する世界である。主催者も審判(大抵は学校の教職員)も、何なら選手(生徒)だって皆「素人」であることを我々はよく理解したほうがよい。

(3)(2)で述べたように、スポーツにおいて主催者や審判は絶対であるのだから、県高野連は判断を覆すべきではなかった。もちろん、これらの主催者や審判は「素人」だから、世論や権力者といった「長いもの」に逆らえずに巻かれることを選択せざるをえなかったのであろう。ルールすなわち「法」を司る主催者や審判が「情」に屈したのである。

この判断変更によって、同県大会の日程は変更された。仮にそのことで不都合が生じた選手やチームがあったとしたら、主催者はどう補償したのであろうか。

高校野球だから贔屓された

先に述べたように、この「コロナ禍」において生徒たちは相当に窮屈な思いをして学校生活を送っている。コロナウイルスを理由にした部活動停止なんて、日本中どこかの学校で毎日起こっているはずである。本件が注目されたのは、ひとえに話題が高校野球だったからである。高校野球だけが贔屓されたのだと断言する――もしそうではないと言うならば、日本中の苦境に立たされた部活動少年少女のツイートに橋下氏や吉村氏がいちいち反応しているかどうかを見ればよい。